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野口英世 伝染病にたちむかった医学の父 (学習漫画 世界の伝記) [科学]

読み聞かせ時間 漫画なんで自分で読んでいた。小3で20分くらいかな
ウケ度 そこそこおもしろかったらしい。2回よんでいたから
印象度 野口英世ってお金かりまくって、コネつかいまくって成功した行動の人で語学の天才だったのね。


野口英世は、1876年(明治9年)生まれ。生まれた時の名前は清作。
生家は父親は酒浸りで、母親が一人で働いて生計をたてていた。赤ん坊のころ囲炉裏に手を突っ込んで左手がひらかなくなったのは有名。母親は不憫に思ったが、病気がちの英世の祖母と、英世の2つ上の姉を抱え、医者にみせることもできない状態だった。

小学校では「てんぼう」と呼ばれ(いつも左手を懐にかくしていたから)いじめられたが、母の支えで懸命に勉強し一番になった。そして卒業試験の監督に来た小林栄先生に援助されて高等学校へ進む。

高等学校では、熱心に勉強する英世をみて、先生や友人たちがお金をだしてくれ、左手の手術をうける。この時の体験から医者を志す。しかし左手は一応動くだけで不自由なままだった。

高等小学校を卒業後、やはり小林先生のつてで会津若松の会陽医院で住み込みで働きながら勉強する。
このころから体力にまかせて、3-4時間睡眠で猛勉強していた。研究者になってからもそのスタイルは変わらなかった。
また、語学が得意で独学で英語、ドイツ語、フランス語の本を読めるようになった。

ある日ドイツ語の本を読んでいるところを、医院を訪れた高山歯科医院の血脇守の助に認められ、東京にでてきたら来るように言われる。

19歳のとき東京で医術開業前期試験を受け、合格、しかし後期試験まで滞在費がないため、血脇を頼り、高山歯科医院の宿舎で用務員をやりながら、血脇の紹介と金銭援助でで実技指導をしてくれる学校にいった。

そして見事開業医の資格を得るが、手が不自由なこともあり、開業医でなく研究者をめざす。
血脇の紹介で伝染病研究所のみならい助手になるが、なかなか研究させてもらえない。腐って酒を飲むようになるが、恩師小林先生の奥さんが病気としって、看病にいく。そのとき、酒におぼれる自分がいやで清作から英世に改名した。

1899(明治32年)伝染病研究所にアメリカ・ペンシルベニア大学のフレクスナー教授が訪れ、英世が語学の腕を買われて案内役となる。この縁で英世はアメリカで研究する道をめざすが、渡航費用が足りない。

アメリカへの渡航費をためるため、横浜の検疫医官補をしているとき、ペスト患者を発見。その功績で中国の牛荘に派遣される。このときも渡航する船のなかで中国語をマスターし、慕われるようになる。

その後、血脇先生から渡航費用300円を渡されるが、なんと一晩で遊んで使ってしまう。しかし血脇は再び費用を用立ててくれる。

アメリカへ渡ったものの、フルクスナー教授もいきなりやってきた日本人にびっくりしたらしい。なんとか毒蛇の研究所にいれてもらい、ここでも猛勉強する。
そのモーレツ仕事ぶりは徐々にみとめられ、ヨーロッパ留学する。ここでもモーレツに仕事してスピロヘータの純粋培養に成功、世界に知られるようになる。日本からも博士号が送られる。

その後アメリカ人女性と結婚するが、モーレツ仕事ぶりはあいかわらずだったようで、最後の黄熱病の研究に没頭しアフリカで命を落とす。

しかし、その前に日本に帰国し2か月間母とともに旅行。血脇にお金を返したり、故郷に錦を飾った。

とにかく行動力とバイタリティ、絶対的体力でかけぬけ51歳でなくなった。墓はニューヨーク郊外のウッドローン墓地



野口英世 伝染病にたちむかった医学の父 (学習漫画 世界の伝記)

野口英世 伝染病にたちむかった医学の父 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 堀田 あきお
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1989/09/20
  • メディア: 単行本



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