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ジョイ・アダムソン 自然を愛した「野生のエルザ」の作家 [人]

読み聞かせ時間 小6男子自分で読んで20分
ウケ度 特に感想はなかったみたい
印象度 いろいろすごい人だったみたい

ジョイ・アダムソンは1910年1月20日オーストリア生まれ、本名はフリーデリケ・ビクトリア。
母方の一族がたいへん裕福で、広大な敷地に15人もの親戚の子どもがあつまって夏休みを過ごしていました。いとこたちと思い切り遊んだり、将来なりたいものをいいあったり、楽しく過ごしました、中でも曽祖父が好きだったようです。

12歳のとき両親が離婚。母親はすぐに再婚し、ジョイと姉トラウテは母方の祖母オーマに引き取られ、ウィーンに住むことになります。夏休みを先祖の広大な領地で過ごすのは変わりませんでしたが、15歳のとき進められてノロジカを撃ち、スポーツのために美しい動物を殺すことに罪悪感を覚えたため、一生スポーツのために動物は打たないと誓いをたてました。

17歳のときピアニストを志しますが、手が小さいので断念。絵の勉強や洋裁の学校にいったり、好奇心旺盛な性格で、タイプライターや速記、歌のレッスンや乗馬、彫刻、デザイン、写真などいろいろな技術をみにつけました。でも社交ダンスやパーティは好きではなかったようです。

医学も志ますが、数学や物理化学などの受験勉強が苦手で苦戦していたところ、アフリカのケニアに住む友人からの誘いがあって、アフリカにわたります。
船上で知り合ったスイス人の植物学者ペーター・バリーと親しくなり、カイロ観光に一緒にいったりしました。
ふたりは1938年結婚。すっかりアフリカが気にいったジョイは夫の植物調査についてアフリカにすみつきます。
キャンプしながら象の足跡にたまった泥水をのんだり、夜露で湿った草の上にシーツを引き回しで水を確保したり、現地人から汁の出る木を教わったりしました。夫のために植物の絵もかきました。
この絵が評判になり、ジョイはアフリカの植物の本に挿絵をかくことになります。

ケニアで数年を過ごしたころ、クリスマスパーティで、将来の夫ジョージ・アダムソンに会います。ジョージは駱駝でパーティ会場にあらわれました、野獣局に勤め冒険家として有名だったようです。
ふたりは惹かれあうようになり、ジョイは悩みますが、結局ペーターと離婚、ジョージと結婚します。

夫の仕事は狩猟監視官で、人間をおそう動物を殺したり、密猟者を取り締まったりしていました。ジョイも次第に野生の動物に囲まれることになれていきます。旅をしながらの仕事になることも多く、野生動物のあかちゃんを保護して育てたこともありました。
1949年ジョイの絵がケニア政府に認められ、部族の絵をかくしごとをまかされ、6年かけて辺境をまわりやり遂げます。

大仕事が一段落した1956年エルザたち赤ちゃんライオンがジョイのもとにやってきます。
末っ子で体も小さいエルザをジョイはとてもかわいがりました。5か月になると体格も大きくなり、他の2匹は動物園にひきとられますが、エルザだけはジョイの希望で手元に残すことになりました。

2年後、エルザは外で一晩すごしたり、像の群れをおいまわしたり、すっかり一人前です。しかし追いかけていた像が村に入り、家をつぶしたりしたため、住民から苦情が来ます。夫はエルザを動物園にいれようとしますが、ジョイは自由に生きてきたエルザが閉じ込められることに抵抗を覚え、野生に返す道を選びます。

ふたりはエルザをつれてキャンプをはり、少しずつエサを減らしたり、雄ライオンに近づけたりしてみましたが、あまりうまくいきませんでした。最終手段として1週間置き去りにしますが、戻ると1週間なにも食べていないエルザが現れます。ジョージはあきらめて動物園に入れようとしますが、ジョイは反対。
ふたりは休暇を延長して他のサバンナにエルザをつれていきます。置き去りにされたあとのエルザは次第に野生に戻り、狩りをするようになり、何日も返ってこなくなります。
ジョイはそんなエルザの様子を文章に書きとめます。

ジョイたちはエルザを自然の中で自活させ、ときどきごく短い期間に同じところにキャンプをはりました。野生の雄ライオンと結婚した後もエルザはキャンプを訪れ、ジョイと親子の情をたしかめていました。

ジョイは書き上げたエルザの原稿をロンドンの出版社に持ち込み、出版された「BORN FREE」は世界中で翻訳されたベストセラーとなりました。

その後も夫妻とエルザの交流は続き、なんとエルザが出産した後も子供たちをつれて夫妻を訪ねてくるほどでした。ジョイはエルザの子どもたちを決して抱きませんでした、野生に戻すのが難しくなるためです。
1961年子供をうんで一年後エルザがなくなりました。こどもたちが野生化して近くの村の家畜を襲ったので、二人は子供をタンザニアの国立公園に移しました。

その後ジョイは世界各地で公演を行い自然保護を訴えます。1969年には「エルザ野生動物基金」を設立。野生動物をすくう団体です。

エルザの映画もつくられ、音楽部門でアカデミーを受賞。
家にはたくさんのファンレターが届くようになります。ジョイはエルザの物語を通して野生動物保護への認識が変わることを喜んでいました。

映画の撮影中にジョイは若い雌のチーターを育て始めます。
「ピッパ」と名付けられたこのチーターは人間に育てられましたが、ジョイによって野生に戻され、4回の出産をしました。ジョイはピッパについて2冊の本を書いています。

1975年には「エルザ自然保護の会」が日本で立ち上げられ、ジョイも日本にやってきました。

1977年ヒョウのペニーがやってきます。エルザはこのヒョウをそだて野生に戻すつもりでした。
しかし1980年現地人との争いにまきこまれ69年の生涯を閉じます。遺骨は灰にされ、遺言通りエルザとピッパの墓にまかれました。
好奇心旺盛で、やりたいことを全部やるのにはあと50年の寿命がほしいというような人物で、その生涯のほとんどを野生動物の近くで過ごした人でした。



ジョイ・アダムソン 自然を愛した「野生のエルザ」の作家 (学習漫画 世界の伝記)

ジョイ・アダムソン 自然を愛した「野生のエルザ」の作家 (学習漫画 世界の伝記)

  • 作者: 高瀬 直子
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1998/03/27
  • メディア: 単行本



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